高校の時のクラスの担任から「ボクシングだけが人生ではない。おまえは正義感が強いから弁護士になれ。弁護士になって弁護士志望だった俺の分まで夢を実現してくれ。」と励まされ、弁護士を志すに至りました。
現在、弁護士生活52年目となり、その間、一般民事、会社事件、刑事その他数多くの事件を手がけましたが、記憶に強く残る担当事件は、刑事事件では弁護士1年目から取り組んだ事件で、最高裁が初めて一般的不意打禁止法理を認める新判例となりました。
他には、いわゆる黒い霧事件と呼ばれた「共和精糖事件」や「死体なき殺人事件」、民事事件では製薬会社に全面勝訴した「ストマイ難聴薬害訴訟」といった弁護団としての活動や、行政訴訟事件では農民の代理人として、政府の米価据置決定に対する行政処分の取消訴訟がそれぞれ印象深い事件です。
業務以外の活動としては、平成6年に東京弁護士会の副会長を歴任した他、骨髄移植を必要とする患者に対する骨髄提供者の提供の最終意思を確認するための立会いを数多く行ない、東京弁護士会運営協議会の議長、近年では東京都弁護士共同組合の理事長を務めました。
又、フルート交響楽団ロフェリー・フラウテ約100名の副代表として演奏活動を行ない、定期公演や刑務所、少年院などの慰問演奏、アメリカ合衆国ヒューストン市の日本総領事から招聘を受けた海外演奏活動等を20年以上続けました。
狛江市のワンツーボクシング道場において、本格的なトレーニングに励んでおりましたが、コロナ禍になってから一時休止状態になっております。狛江市民まつりではステージ上でミット打ちを8年間にわたり仲間と披露しておりました。